2008年 11月 29日
ヴェッキオ宮殿
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さてここを見学するからにはアレを確認しなくては。6月11日の日記で書いた「アンギアリの戦い」のその後です。
1504年、政府は2人の巨匠にこの会議場のために大壁画を描くよう依頼、すなわち左側面はミケランジェロに「カッシーナの戦い(フィレンツェ対ピサで勝利した図)」、右側面はレオナルドに「アンギアリの戦い(フィレンツェ対ミラノで勝利した図)」がそれでした。仲の悪い二人は対抗心メラメラで制作を始めましたが、ミケランジェロは下図まで手がけたものの途中で放棄してローマへ、レオナルドは中央部まで描いたがやはり放置してフィレンツェを去ります。しかしその中央部の出来が素晴らしく、噂を聞いてフィレンツェに来たラファエッロはじめ多くの画家が模写を残しています。
その後コジモ1世は、お気に入りの画家ヴァザーリに壁一面をメディチ家の偉業を称える壁画で装飾するよう依頼、上の写真のような現在の姿に。その時にレオナルドの「中央部」は破壊、もしくは塗り込められたと永く思われてきました。
1975年、美術解析学者のマウリツィオ・セラチーニ博士はそのヴァザーリの壁画の1枚「マルチャーノの戦い」の中に小さく描き込まれた「CERCA TROVA=探せ、さらば見つからん」という暗号めいた文字を発見、30年以上におよぶ調査の結果、ヴァザーリはレオナルドの「アンギアリの戦い」を壊すことなく上から「マルチャーノの戦い」を描いたことが判明、イタリア文化庁とフィレンツェ市は、2008年中に壁画をよみがえらせようとプロジェクトを進めている…というのが2007年5月の話。さあ、その絵は今どうなっているんでしょう!?
ヴァザーリは2人の巨匠を尊敬し一つの到達点と考えていましたから、レオナルドの絵を潰すことはできなかったのでしょう。上下の壁画は触れることなく僅かな隙間で保たれていることが科学的に判明しているようですが、建築家でもあったヴァザーリの技術力に驚きます。
by ryo_shiotani
| 2008-11-29 00:00
| フィレンツェ留学記