2020年 10月 26日
10-day Artist Challenge" Day 3
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アートチャレンジ3日目、今日は高校時代の作品を。
小学生の頃、美術愛好家だった祖父に連れられ、三島のビュッフェ美術館に2度ほど行き、近代美術館の松本竣介展では「Y市の橋」で油絵の魅力に引き込まれました。また中学では小松崎邦雄の油絵入門というNHKの番組に感激し、毎週ビデオに録画していました。
1990年 15歳 油彩、キャンバス
1991年 16歳 油彩、キャンバス
1991年 16歳 油彩、キャンバス
1991年 16歳 油彩、キャンバス
1992年 17歳 油彩、キャンバス
高校1年の時、父がオランダ土産で買ってきてくれたマウリッツハイス美術館の画集に衝撃を受け、一つの転機となります。自分の知っていた油絵とは全然違う、古典絵画の魅力に一気にとりつかれていきました。
高校は中高大一貫教育の学校で、独立美術協会の権藤信隆先生にデッサン、油絵を教わりました。教わると言うより叩き込まれたと言っていいほどの熱血指導をいただき、高2の頃には併設大学ではなく美大進学を考え、予備校の武蔵野美術学院に通い始めます。
高校1年生。牛骨のデッサンは微妙ですが、絵具がモノにピタッと貼り付き、位置感が生まれる感覚(ヴァルールが合う)がわかり始めた頃の作品。
例のマウリッツハイスの画集の影響で、オランダ静物画家ベイエレンに憧れて描いた作品。高1の春休みに自宅で部屋を真っ暗にし、机のライト1灯だけ当ててわくわく描いていたのを思い出します。そんな自分がポットに写り込んでいます。自信満々で学校に持っていくと、いつも誉めてくれる先生の言葉数が少なく、少し冷たかった。デッサンが出来ていないのにモノまねに過ぎないことを暗に伝えたかったのだと思います。
高2の春、美術の授業で描いた作品。校内風景をアクリル絵具でスケッチする内容でしたが、油彩で40号を描くことを認めてもらい、授業前の休み時間にイーゼルとキャンバスをせっせと運び出していました。プロテスタント系の学校だったので毎朝礼拝があり、そのチャペル入口を描いた作品。ロイスダールのような空にしたくて始めたものの、全然空間が描けず歯がゆい思いをしました。
高2の夏、安良里でのスケッチ。毎年美術部の合宿で、西伊豆の安良里と信州の安曇野に交互に行っていました。これは海に背を向けて民家の蔵を描かせてもらったもの。
高2の冬、40号の油絵です。これまた、美術室一角の蛍光灯を外して、暗がりの中でモチーフと向かい合っていました。牛骨やラッパのデッサンが危うかったり、トランプのパースが合ってなかったりと問題はあるものの、今見ると絵バカ少年の覇気が感じられる…?
全日本学生美術展に出品し、9000点の応募者の中から最高賞(中野淳賞)がつきました。たぶんぼくの人生でもっとも評価された瞬間でした笑。翌々年武蔵美に入ると中野先生が教授でいらしてびっくり。
by ryo_shiotani
| 2020-10-26 15:50